書道雑話
一
自分はなぜ字がへたなのかと考える。色々理由を挙げることが出来る。だ
がそれでも充分な説明がつかぬ。第一、習字を怠ったからとも云える。もっ
と修業を積んでいたら今日のようなへまな字は書かずにすんだかも知れぬ。
どうも勉強が足りなかったと思える。併しこれで答はもう終わっているのか。
色々分からぬことが出て来る。私はこの道に精進した人、尚しつつある人々
を知っている。なるほど遥かに私よりうまい。だがこれ等の人々はどんな美
しい字を書いているか。結局感心出来ないのである。先日子供が学校で習っ
ている習字手本を見て、とてもいやな字なのに驚いた。たかだか顔真卿の阿
流という所である。何れ著名な書家が書いたに違いない。してみると習字の
先生にまでなり得たとて、ろくな書は書けない。今よりうまく書けるという
程度のことなら別に問題はない。うまく書けたとて美しくなければそれまで
ではないか。私は疑惑を深める。
支那ではとても習字に熱心な人がいる。王羲之の七世の孫に智永という有
名な人がいた。例の「蘭亭敍」を大事に持っていた人だという。伝えによる
と書を習って、筆の穂が悪くなると大きな竹篭を机の側に置いて筆頭をそれ
に捨てた。一石も入るというこの篭が五個も一パイになったという。三十年
間孜々として勉強した。さて、かくして出来た智永の千字文は有名だが、果
たして六朝や漢の書に比べてひけをとらないか。私にはそんな大したものと
は思えぬ。智永ぐらいではまだ羨ましいとは思わぬ。習うのは習わぬよりよ
いに違いない。併し習ったとて必ずよい書が書けるとは保障出来ぬ。ではど
うしたらよいのか。問題が終わりに来ない。
さて、次にはこうも考える。書に対する知識が足りないのかも知れぬ。幸
いにも今日は色々な書物が出来ていて、上周代から、中唐代を経、下近代に
至るまで、三千年近くの間、東洋人がどんな書を書いて来たかを易々と知る
ことが出来る。昔だったら六朝の碑一つ見つけてもさわぎだった。況んや原
拓本を手に入れるに於いてをやである。そこへ行くと現代は有難い。『書道
全集』でも買えば古今の名筆が眼の前に揃う。それに書道論に関する数冊の
名著がいつでも古本屋で吾々を待っている。「流沙墜簡」なんか聖書の如き
ものである。不折書道美術館はこの道の天国に等しい。併しそれ等のものを
しばしば見、書に就いて一渡りの歴史を心得、進んでは書に関し一かどの議
論を立て得るまでになったとて、さて、書が進むか。殆ど関係はないようで
ある。私はそれ等古今の書道に就いて、知識や見解の王様と想える人を知っ
ている。所がその人の書が神技かというと、とても好ましくないのである。
ここで知識も頼りにはならぬことが分かる。
第三に私には天分が無いのだということで、この問題を片づけて了おうと
も考えた。一番手取り早い解答である。併し考えると簡単には云えぬ。天分
がある人だってろくな字を書いていないのはどういうわけか。達者な書なら
いくらもあるが、そんな所に標準を置かなくなると、問題はむづかしくなる。
それにこまったことに昔の書、例えば敦煌将来の木簡等を見ると、少なくと
も皆が皆天才の筆だと思うわけにゆかぬ。いとも平凡な人がいとも平凡に不
用意に書いたと思われるものが数多い。所が揃いも揃って素晴らしいのであ
る。中に書の極みだと思えるものすらある。してみると才能の有無は決定的
な資格にはならないではないか。天才でなくとも美しい書が書ける場合があ
る筈である。
こうなると厄介な問題である。習わなければまづく、習ってもまだまづい。
書に就いて知らないのも愚かだが、知っても知っただけに書けぬ。才がなく
てはこまるが、才があったとしても亦こまる。思う字が私に書けぬのは如上
の三つの原因にもよろうが、それで充分な解答にはならぬ。何か別の原因が
あって私のみならず、多くの人々によい書を書かせないのである。その匿れ
た別の原因に就いて考えて見る必要があろう。
二
どうも今の時代では誰にでも美しい字が書けなくなっているのではないか。
少なくともそれが非常にむづかしくなっているのではないか。当然書と時代
とのことが考えられる。
先日明治時代の書の変遷に関する諸家の思い出話を読んでいると、揃いも
揃って明治前の「御家流」の字を攻撃し、御維新後所謂「唐様書」が興って
「御家流」を倒して了ったその功績を語っている。併し私にはどうも合点が
ゆかぬ所がある。なるほど、いつまでも「御家流」ではこまるかも知れぬ。
ましてそれが死んだ型に陥って了って、活々した所がなくなってはこまる。
況んや維新の改革というような時期である。書にも何か新鮮なものが要望さ
れたことは分かる。その心理過程に別に疑いはない。だが問題はこうである。
果たして「唐様書」の大家達は、「御家流」の字よりもっと美しい書を書い
たかどうかである。更に又唐様書に風靡された一般人民が明治以前の書より
もっとよい字を書くようになったかどうかである。悲しい哉、事実は正に逆
だと思える。「御家流」は型の字だが、その或るものには実に美しいのがあ
る。併し明治になってからの書に、それに比べ得る美しいものがあるかどう
か。まして一般民衆の書になると、到底勝ちみが無いように思える。明治に
なって書風が変わったということは一つの歴史的推移であって何も改善とは
云い切れぬではないか。第一、次の悲劇が目立っている。
かりに一歩譲って明治時代の書家の字が立派なものだとしても、書家以外
の一般民の書はどうか。がた落ちに落ちたのである。つまり上手な人と下手
な人との差がとても激しくなったのである。所が翻って幕末の御家流の書を
見てみよう。何も驚くほどのものでないかも知れぬが、上役人の制札から下
商人農夫に至るまで仲々よい字を書いている。その差が非常に少ない。否、
時として商家の字などに素敵に立派なのに出逢う。つまりならしにうまいと
いうこの現象は、実に驚くべき事柄なのである。今の時代が到底実現し得な
いことなのである。今から見ると夢のような事柄である。
西洋でも事情は似ている。西洋で一般の庶民までがよい字を書いたのは先
づ十七世紀頃までである。十八世紀以降から段々書の体がくづれ、今日にな
ると日本と大差はない。上手な人と下手な人との差が激しい。否、下手な人
の方が何層倍多いか分からぬ。否、真に見事な書家は九牛の一毛という所で
あろう。
所が更に溯って中世紀あたりまで行くと、下手な字がそのまま美しいとい
う奇蹟にまで近づいてゆく。東洋でも漢や六朝はそういう恐ろしい時代であっ
た。
して見ると私も時代の犠牲なのである。否、私のようなへまな字を書く者
を例に挙げては真理が弱くなる。私よりずっとうまい書家と雖も実は時代の
犠牲に過ぎない。真に感心する書を彼等が書いた場合が果たしてあったか。
不折氏所蔵の古甕(今は重要美術品に登録されている)に記された後漢「永
壽二年」等の文字を見ると、頭が上がらぬ。何も名家が書いたものではない
から、逆に時代の恩寵に依ることが分かる。今の大家たらずとも私のような
へまな書き手でも、若し同じく後漢に生まれていたら、素晴らしい書が書け
ていたであろう。してみると字の上下が如何に時代に関するかが明らかにさ
れるではないか。時代の力の前には手習いも知識も天分も、小さな要素に過
ぎぬ。
三
或はこう考え起こすことが出来るかも知れぬ。今は時代が悪いのだから、
尚更習字を積み、知識を磨き、天分を大事にして、書道の興隆を計るべきだ
と。なるほどこれは書道の道徳として当然なことで将に吾々の義務だとも云
える。そういうことを怠るより遥かよいに違いない。併し時代の命数という
ことは仲々力が大きいのである。もっと病いの根源に溯って、書道が今は時
代の犠牲になっているという事情を除去することの方が、更に根本策だと思
えるのである。社会組織に何か欠陥があるのであるから、書道のためにそれ
を改善することの方が、もっと本質的な処置ではないか。根の病いを癒さず
に、葉や花を立派に育てようとしても無理があろう。それで問題をもう一歩
溯らせて、何が時代の病気なのか。どういう社会組織に欠陥があるのか。そ
れをつきつめる必要があろう。
私の結論はこうである。一般に書がまづくなったのは個人主義時代のため
なのだと。(ペンで字を書くためだとか、学生時代に講義を筆記するために、
字が無茶苦茶になるのだとか、タイプライターが出来たので、字を書く機会
が減ったためだとか、色々下手になった原因を数えることも出来るが、それ
等は末葉のことであろう)。私にはそれよりも個人主義の風潮が社会を支配
したために書が堕落して来たと説く方が切実だと思える。
これには二つの方向から説明がつこう。第一は素晴らしい書を産んだ時代
のことを考えて見る。或は全体の人々がならし皆よい字を書いた時のことを
考える。もっとつき進んでいえば、才のない下手な無学な人に美しい天籟の
書が書けた時代のことを考える。省みるとそういう時代は個人主義であった
場合がないのである。恐らくその当時の篤い宗教心が、社会を個人主義に陥
らすことを救っていたのだと思える。個人より協存の理念の方が厚く社会に
働いていたのである。立派な書の時代と、立派な宗教の時代とは一致してい
る。東洋では漢末から六朝にかけ、西洋では中世紀が最も純な信仰時代であっ
た。そうしてそれ等の時期に於いて人類は最も見事な書を産んだ。何も既成
宗派に属することを勧めるわけではないが、兎も角社会組織に何か宗教又は
宗教に代わる精神的な力が働いて、社会を協同体に結ばぬ限り、美のことは
栄えぬと思えるのである。易しくいえば個人が書を守るのではなく、社会全
体が書を守るという事情に入ることが大切である。書の伝統はこういう時に
生まれてくる。今までの最上の書は何れも伝統を離れてはおらない。だから
それ等のものは何れも非個人的な要素から生まれている。兎も角他力的に救
われてくる書が多くならなければ、書の王国は実現しない。つまりつまらぬ
人間達が立派に書けるようになるまで社会を高めねば、書道の解決はつかぬ。
例の「永壽二年」の文字は、「そうだ」と吾々に応えている。
第二にはなぜ個人主義が不都合かということを語る要があろう。個人主義
というのは個人の自由を重ずる思潮であるから、近代で喝采を招いた。伝統
主義の余弊に対する反動で、歴史的発展の一過程として見れば、存在理由が
充分にあり、これがために開発された文化の一面が明らかにあろう。併しこ
の主義で人類がどんな経験を嘗めたか。個人主義というのは個性の尊重であ
るから偉大な個性即ち天才への崇拝を意味する。英雄主義と云い換えてもよ
い。劇や小説を読むと主人公がいる。(或は女主人公がいる)。それを何等
かの意味で英雄に仕立てる。悪人を描く場合なら、それを悪人の代表的人物
に仕上げる。オペラを見に行けば必ずプリマドンナがいて歌う。映画を見に
行くことは、今日ではスターを見に行く意味さえある。英雄を置かないと人
気がない。この英雄崇拝は人間的自然の情とも云えるが、近代ではその裏面
に悲劇が多い。余りに多過ぎる。二つの弊害が眼に入る。一つは個人主義の
社会にいれば、自我への意識が強くなる。信仰時代ではこれを業と見做して、
修養で充分抑えたが、近代にはこの抑制がない。自分がえらくなろう。名を
出そう。金を取ろう。人を驚かそう。斬新なことをしてみせよう。こういう
慾が群がってくる。書に於いてだって同じである。一つうまく書こう。陳腐
な字は止めよう。新奇なものを生もう。自分を出してやろう。こういう慾が
まつわってくる。謂わば邪気が多くなる。こうなると利口な達者な字は多く
なるが、これが書を純粋にしない。うまい人が相当にあっても、真によい字
が生まれないのはこのためではないか。だから特別な能のある天才でも、自
我のために傷がついて了うのである。凡ての方向で個人主義になって了った
現代では、兎角書を不純なものにして了う。意識した書には悩みが多い。私
は旅を多くするが、宿屋という宿屋、皆名士の書を額に掲げる。毎々うんざ
りする。書く方もいい気なものである。恥晒らしなのに気がつかないのか。
むやみと一筆頼む日本人の習慣もよろしくない。
第二に起こる悲劇は、天才主義は、天才ならざる大衆の存在を予想する。
スター組織は、スターに非るものをその犠牲にする意味がある。才能ある人
間の少数に対して、愚かな人間の多数が対峙する。僅かの人は書がうまくなっ
ても、大多数の人は拙くなる。これが当然の命数である。謂わば書が社会に
よって支持されず、少数の人達の私有するものに変わってゆく。だから先に
も述べた通り、書に上下の差が激しくなって了う。否、無数の悪筆で世が充
たされるはめに陥って了う。もはや時代が書を支持することは出来なくなる。
才のないものまでが美しく書けたというような社会は夢に過ぎなくなる。併
しこういう事情を改革せずして書道の進展を仰望するのは無理ではないか。
況んやこんな社会では天才すらろくな書が書けないのである。よい書が生め
たら寧ろ奇蹟である。悪い書が生めなかった時代の奇蹟と対立する。書の問
題は書だけの問題ではない。
(打ち込み人 K.TANT)
【所載:『工芸』 78号 昭和12年】
(出典:新装・柳宗悦選集 第7巻『物と美』春秋社 初版1972年)
(EOF)
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